いつだったか、ディスカバリーチャンネルで「砂漠で生き抜く生物」の特集をやってたんです。
「へ~こんな過酷な世界でも生物って生きていけるんだ~」って感心して見てたんですけど、
そのときふと、砂漠で生きる生物と「生き辛さを感じている人たち」が重なってしまったんです。
例えば、今まで「ダメ人間」って言われて貶されてきた人たちは最初のうちは「いやだなぁ・・・・」
「こんなとこいたくないなぁ・・・」ってなんとかそこから逃げる方法を探してきたでしょうけど
いくら探しても見つからず、ついに「あっ、もうここからは逃げられないんだ?この世界で生きるしかないんだ・・・・」って”他の世界”を探すことを諦めてしまうんです。
するとどうなるか?「その世界で順応していくため様々変化していくんですよ、『心』が」
目立っちゃうと攻撃されるからとにかく「人目を避ける」ようにし、
どうせこんな自分が褒められるわけないし、期待すると疲れるから他人からの称賛は全て「皮肉」として受け流し、
どうせ今の自分が愛されるわけないんだから「愛情を受けれなくても」生きていけるように最初っから「そんなのいらない」って言ってみたり、
そんな感じで愛情をもらえない世界で生きていけるように身体も心もそれに順応できるように変化させてきたんですよ。
ところがある日、「そんなとこに無理していなくていいんだよ」 「こんな世界もあるんだよ」って教えてくれる人が現れた。
そしてその人は腕をつかんで「その豊かで自由な世界」へ連れていこうとしてくれた
でも「はい、わかりました」って簡単に行けませんよ。
だって今まで「自分はダメな人間だ」って言われてきた場所が世界の全てだと思ってた。
「それ以外の世界」があるなんて夢にも思わなかった。
だからその世界で生き抜いていけるように頑張っていろいろ変化させてきた。
なのに今更「そんなことしなくていいんだよ」って言われたら
「じゃあ、今までの私の苦労はなんだったんだよ!」
ってなるんですよ。
でもね、さらにそれを掘り下げていくと、「可哀想って思われる世界」で可哀想な人でなくなったら
自分には何も残らなくなる、特徴も何もない「ただの人」になってしまうのが怖いし、目立たないでいたことで誰からも責められず攻撃を受ける心配のないある意味「安心できる世界」から抜け出すのが怖いんです。
ガラガラヘビ(砂漠でのみ生息するヘビ)だって砂漠のような何もない世界で水も食料もあまり必要としないで生きれるって「特徴」があるからガラガラヘビって呼んでもらえるんですよ。
それが水も食料も豊富な「豊かな世界」で生きていたら「ただのヘビ」になってしまうじゃないですか。
そうなったら「だれからも注目されなくなってしまうんですよ」
我々当事者も「可哀想な世界」に居続けるから「ダメな人」 「発達障害者」っていう特徴があるのに「愛情も自由も豊かさもある世界」に出ちゃったら存在価値がなくなるんじゃないかって心の奥深くで思ってるんじゃないでしょうか?
だから「生き辛い、生き辛い、もうヤダ・・・・・」って思いつつも「何もできないヤツでいることで波風立てないで生きれる安心した世界」から抜けれなくなってるんじゃないでしょうか?
その「可哀想な世界」なんて抜け出そうと思えばいつでも抜け出せる!
ひょっとしたら”あなた”の手を握って「自由で豊かな世界」へ連れて行ってくれる人はすぐ側にいたかもしれない。
「もう、”ただの幸せで自由な人”になってもいい」
「目立って攻撃されてもいい(どうせされないし)」