以前、同窓会に出席してこんな話題で盛り上がってたので記事にしてみました。



「ママ友作っておかないと幼稚園の入園情報が入ってこない」



「ママ友から嫌われるとその地区では生きていけない」



「そのために普段から嫌われないようにいい顔しておかないと」



って話題で盛り上がってたんです。



「あ~わかる~、私もママ友の集まりがあったら嫌でも参加してるもん」



「私なんか顔覚えてもらうために名刺まで作ってイベントあったら率先して引き受けて・・・・」



「私も、ママ友に疲れちゃった」



いや~、健常者もなかなか大変ですね。



「嫌だったらやめりゃいいのに・・・・」ってスゴイ思うんだけど、やっぱり実際ハブにされたこと考えればそういうわけにもいかないんでしょうね。



でも、その集団にいることで心身共に疲弊しきってるのにその集団にしがみつく理由って何なんだろう?ってすごーく思うんですよ。




生きるためにその集団に入ってるのにその集団のせいで生き辛くなってるなら本末転倒じゃないですか?



で、それをぽそっと口にしてしまったんですよ(やっぱアスペルガー。思ったことをつい口にしてしまう)



もう一同ドン引きですよ。



「はあ!?あんた子供か!?」



「前から思ったけどやっぱり身勝手だね・・・・」



「そんなんじゃ誰も助けてくれないよ」



「やっぱり常識からずれてる人なんだね・・・・」



と、もうその後は散々でした。



しかし、ふとこう思えたんです。



「そんなめんどくさい思いして心身壊して生き辛くなるくらいなら子供でも身勝手でもいいわ!」って。



そこでピーンと閃きました。この世に発達障害者が存在する意味が!。



このブログで何度も書いてるように”人って自分のしたいことしたいようにするために生まれてきてるんです。



しかし、実際それを実行できる人ってごくわずかです。特に日本人って”アウトロー”が嫌いですからね、集団になじめない人をとにかく異端視しがちです。



そこで発達障害者を世に遣わして「もっと好き勝手やっていいんですよ、イヤなことやめていいんですよ、」って神様のメッセージを託されて存在してるのかも。



我々当事者はいろんなことやり散らかして「身勝手」「人のこと考えない」って異端視されてきましたけど


人の顔色伺って自分のしたいこと言いたいことを封印して疲弊しきってる健常者に「あなたもこんな風に生きていいんですよ」って言いたいのかもしれません。



何でも”ペコペコしてハイハイ言ってれば必ず助けてもらえる”わけじゃありません。



もっと言えば”自分がない人”に人って興味をもちません。



一般常識と深層心理って以外と一致しなくて人って「自分らしく生きてる人」に興味を持つんです。



ここで言う「自分らしく」って”言いたいことをはっきり言う” ”したくないことはテコでもしない”
”やりたいことを迷わず実行する”ってことです。



一般常識だと「あんまり自分勝手だと誰からも相手にされないよ」ってなってますけど、逆に人って



「身勝手な人」に魅力を感じるんです。



身勝手でやりたいことやり散らかしても助けてもらえる人はいます、そういうのを羨ましくて自分でもやりたいのにやれないってひとが「勝手に怒ってるだけ」なんです。



どうして神様は我々に生き辛さを与えてこの世に誕生させたんだろう?



どうして周りの人たちと同じように作ってくれなかったんだろう?



「妊娠中の中毒症状によって脳に機能不全が生じたから?」



「身内に当事者がいてその遺伝子を受け継いでしまったから?」


「前世での悪行の報い?」


ホント考えるとキリがありませんね、筆者も正直どんだけ神様を恨んだかわかりません。


「なんて世の中不条理なんだ、どうして自分だけこんなに生き辛い思いをしなければならないんだ?」


「こんな世界で生きていたくない、みんな死んでしまえ!」



って来る日も来る日も考えてました。


でも、「あれ、生き辛さを感じてるのは当事者だけじゃないんだ」って感じましたね。逆に健常者のほうがこんなめんどくさい生き方を歩んでるんだって思いましたもん。


でも、集団に無理してしがみつくことを手放して、「自分がやりたいことをする」って生き方を選んで考えが変わりました。


発達障害者は「神の失敗作」でも「欠落人間」でもなく、



我々の存在価値って健常者では出来ない「自分らしく生きること」を”世に浸透させるため”なのかもしれませんね。」