本業にかまけてブログの更新怠ってスイマセン。本日より再開いたします。


先日に発生した群馬県でのバス事故、多くの大学生が命を落とし大変痛ましい出来事でした。


こういう事故死のニュースを見るたび、「ふと」思うのですが、

彼らは楽しい旅行で、ドライブで、デートで、あと数秒で人生の幕が閉じるなんて思いもしなかっただろうな~って
思うときがあるのです。


医者に余命宣告されているなら話は別ですが、当然ながら自分の死期を正確に予知してる人間などいませんよね?


人って基本「今日と変わらぬ明日が来る」と信じて疑わないから安心して暮らしていけるんですよね。もし正確に自身の
死期を予知出来てしまったら戦々恐々となって夜も眠れません。


もちろん、事故で亡くなられた方々も、その自分の寿命があと数秒なんて考えもしなかったはずです。


きっと、「明日は会議だから今日中に資料まとめなきゃ」とか「うわ~待ち合わせに遅れちゃった、彼女に怒られるな~」
とかそれぞれの”今後起きうる未来”を予測して行動していたはずです。


何が言いたいのか?というと、人が未来を予測するとき、自分が今まで見てきた、聞いてきた経験則を基に次に起きうる事態を予測して行動しているのです。

つまり”過去のデータ”を照らし合わせてるんですね。


さて、発達障害当事者の方々はこんなこと言われた経験はございませんか?


「なんでもっと”先を考えて”行動しないの!?」




「”先々を考えて”行動しないからこんな失敗するのよ!」


「あなたは将来ロクな人間にならない、私にはわかる!」  
(まっこれは私が当時言われたことですが・・・・・)


どうです、聞き覚えはありませんか?


とにもかくにも健常者って呼ばれる方々は”先を考えて行動する”ってことが大変お好きなようで。


「先を考えて行動しないと大変なことになるよ」


「立派な人間になるには”先見の明”を持たないと」


って我々は周囲の人間に教え込まれたわけです。


しかし、この”先々を見越した行動”というのは発達障害者には決定的に欠けている能力の一つに挙げられている
わけです。


でもよく考えてほしい、彼らが口酸っぱく言ってきた「先々を見越す力」。その能力を備わって生まれてきた彼らは
単純に今幸せか?



その「先々を見越す力」が幸せに絶対的に必要な能力だとしたら、


「なぜ、その男がDV男だと付き合う前に気付かなかった?」


「なぜ、自分がリストラされることに気付かなかった?」


「なぜ、ローン地獄に陥ることに気付かなかった?」


「なぜ、その女とは離婚して泥沼の裁判沙汰になることに気付かなかった」


こういう事態を未然に回避するために口うるさく「習得しろ」って言ってきたことではないのか?


じゃあ先に述べた事態に陥った者たちはすべて”先を見越す能力の欠如してる”発達障害者か?


違うだろう?健常者も当事者も皆”そのときそうしたい”と思って行動したはずだ。


だから、やろう。


今”したい”って思ったこと今やろう。


「それ今しちゃうと後々なぁ~」  「皆からヒンシュク買っちゃうしな~」って思っちゃうよね?


スゲ~当たり前のこというけど
  













「やってみなくちゃわからないぜ・・・」


「やっぱり・・・」  「予想どうりのコメント・・・」って思うだろう、でもこれしかない、てか、ないでしょ?


いちいち先のこと考えてらんね~ですよ、うだうだ考える前にしたいことしよう。


不都合な事態が起きたらその時考えよう。


フリーで生きると決めたときもいろいろ先の不安が頭をよぎって眠れぬ夜も過ごしたけど、今のとこ起きてないよ?
その時想像した不安は。



あなたが先が不安でしてないことはなんですか?


それは過去の正確なデータに基づいた確かな予測ですか?


それともただの”妄想”ですか?

人は”予測”はできても”予知”は出来ません。
しかも”予測”はあくまで”予測です”。


人は1秒先の未来も正確には予知出来ません。


だったら今したいと思ったこと今やろう!