筆者は33年の人生で苦手を克服できたことはほとんどありません。しかし会社勤めにはどうしても自分の持つ特性を
克服する必要に迫られたため何冊ものビジネス書やマナー本を買いあさってはそれを実践するという努力は試みて
みたのですが、ことごとく失敗しました。
その苦手なものとは「集団行動」 「マルチタスクな動き」 「相手の指示を正確に理解する」です。
まぁ、どんな仕事に就こうとも”組織”というものに所属してしまうとどうしても求めらてしまう能力です。
筆者にはこの3つの能力が決定的に欠けていたため、どの仕事に就いても続かずにあちこち転々とすることになってしまいました。
逆に言うとこの3つ能力がバランスよく備わっていれば学が無くとも会社勤めは出来るんですね。
このブログに訪れたみなさんも、「あれが苦手」 「これは絶対ムリ!」って思っていることは1つや2つあることでしょう。
筆者がこれまでの勤め人生活のなかで出した結論は「もう、このままでいい」でした。
つまり、「もう苦手は克服しない。ほったらかしにしとく」ということです。
先に述べたとおり私は”集団行動”というのが大嫌いです。小学校4年のころ地元に少年サッカークラブというものが存在し、決して強制ではなかったのですが、筆者の学校では男子は4年生になったらそのクラブに入団するという暗黙のルールがあったのです。
もちろん私はそんな暗黙のルール知ったこっちゃなかったし、ただ家でゲームしてたかったので無視してましたが、ある日母親が「みんなクラブに入ってるでしょ!?あんたも行きなさい!」と無理やり入団させられました。
当時私の
サッカーの知識は「足でボールを蹴る」ことぐらいしかなく、ポジションの説明されても「??」って感じだし、
作戦の説明されても「?????」なのでフィールドに出てもこけしのように
突っ立ってるだけなのでサッカーの楽しさや魅力なんてこれっぽっちも感じないし、そんなことよりとっとと家に帰ってゲームの続きがしたかったです。
そんな有様なためチームメイトの足は引っ張りまくりで、監督からは殴られる(当時は鉄拳制裁は当たり前でした)
チームメイトからは邪険にされるなどさんざんでした。その上所属していたクラブは県内でも名門で通っていたらしく
そのため練習はキツく、炎天下でも水分補給をさせてもらえずただ怒られてばかりの日々でした。
「元々、毛ほども興味ないサッカーを無理やりやらされてそれだけでも腹立つのに、そんなしんどい思いまでしてなんで
続けなきゃならんのだ?」と、当然の疑問を抱き、もちろん「やめさせてくれ」と訴えたのですが、当時私の周辺の人たちは「サッカークラブに所属してない者は人にあらず!」と圧力をかけてくるんで辞めるわけにもいかず、でもクラブにも行きたくない。バックレようものならクラブから学校の担任に連絡がいき、そこから親の耳にも入るため三方向から叱られるハメになるのです。
また、少しでも弱音を吐くと、「あなたが自分でやるってきめたんでしょ!」と叱られたのですが、こっちからすれば「いやいや、あなたたちが圧力かけるから渋々やってるんだ!」と心の中で怒ってましたが、もちろんそんなこと言い出せるはずもなく、そのため「嘘」をつくことを覚えたのです。
その嘘とは「仮病」です。あるときどうしてもクラブに行きたくなくて「腹痛い」と嘘ついて練習に参加しなかったのですが
この「仮病」の成功に味を占めて毎回この手で休むようになったのです。
ところが蜜月のときは長く続きません。ある日練習をまたいつもの手でサボり駄菓子屋でお菓子を買っていたのを練習帰りのチームメイトに見つかってしまいそれを担任にチクられたのです。当然次の日先生に烈火のごとく叱られ、親にはそれ以上にこっぴどく叱られました。
担任と両親も口をそろえて「練習をさぼったことはもちろんだがそれよりも”嘘”をついたことが許せない」といっており、「どうしてこんな平気で嘘をつく子になってしまったのか」 「この子は異常だ」などとのたまいていました。
でもここで少し待ってほしい。「誰がこんな嘘をつくように追い込んだのか?」 「どうして”したくない”というメッセージを受け取ってくれないのか?」
日々のキツイ練習や理不尽な叱責、自分を邪険にするチームメイト、またクラブを辞めさせてくれない担任や両親から自身の身を守る唯一の手段が「嘘をつく」だったのだ。
「逃げられない」 「逃がさない」環境から小学生の子が必死になって編み出した自身を守る手段だったのにそれを「異常だ」 「お前は人として最低だ」などと一蹴しないでほしい。
今、問題になっている子供たちのイジメによる自殺もイジめた側よりもその環境から逃がさないように仕向けたのが大元の原因ではないのか?
仕向けたとは、「そんなのに負けてたら人生渡っていけないよ」とか「みんな多少なりと辛い思いしてるんだから」など
要は「皆がそうしてるんだからあなたもそうしなさい」ということである。
周りをまねるのはそんなに大事か?仮に自殺するかも?というリスクを背負わせてもそうさせたいですか?そうなりたいですか?
だから「逃げてもいい」
だから「嘘をついてもいい」
それがそのときあなたが身を守る唯一の手段だったのだから。
それはあなたが違う道を歩んでいたから。
そして逃げきったらあなたが本当に好きなこと、ホントはしたかったこと本気で探してみて。
本気で好きなこと、してみたかったことはいくらやっても辛くならないよ。
そして、それに本気で取り組んでる瞬間こそがあなたが一番輝いてるときだから。
克服する必要に迫られたため何冊ものビジネス書やマナー本を買いあさってはそれを実践するという努力は試みて
みたのですが、ことごとく失敗しました。
その苦手なものとは「集団行動」 「マルチタスクな動き」 「相手の指示を正確に理解する」です。
まぁ、どんな仕事に就こうとも”組織”というものに所属してしまうとどうしても求めらてしまう能力です。
筆者にはこの3つの能力が決定的に欠けていたため、どの仕事に就いても続かずにあちこち転々とすることになってしまいました。
逆に言うとこの3つ能力がバランスよく備わっていれば学が無くとも会社勤めは出来るんですね。
このブログに訪れたみなさんも、「あれが苦手」 「これは絶対ムリ!」って思っていることは1つや2つあることでしょう。
筆者がこれまでの勤め人生活のなかで出した結論は「もう、このままでいい」でした。
つまり、「もう苦手は克服しない。ほったらかしにしとく」ということです。
先に述べたとおり私は”集団行動”というのが大嫌いです。小学校4年のころ地元に少年サッカークラブというものが存在し、決して強制ではなかったのですが、筆者の学校では男子は4年生になったらそのクラブに入団するという暗黙のルールがあったのです。
もちろん私はそんな暗黙のルール知ったこっちゃなかったし、ただ家でゲームしてたかったので無視してましたが、ある日母親が「みんなクラブに入ってるでしょ!?あんたも行きなさい!」と無理やり入団させられました。
当時私の
サッカーの知識は「足でボールを蹴る」ことぐらいしかなく、ポジションの説明されても「??」って感じだし、
作戦の説明されても「?????」なのでフィールドに出てもこけしのように
突っ立ってるだけなのでサッカーの楽しさや魅力なんてこれっぽっちも感じないし、そんなことよりとっとと家に帰ってゲームの続きがしたかったです。
そんな有様なためチームメイトの足は引っ張りまくりで、監督からは殴られる(当時は鉄拳制裁は当たり前でした)
チームメイトからは邪険にされるなどさんざんでした。その上所属していたクラブは県内でも名門で通っていたらしく
そのため練習はキツく、炎天下でも水分補給をさせてもらえずただ怒られてばかりの日々でした。
「元々、毛ほども興味ないサッカーを無理やりやらされてそれだけでも腹立つのに、そんなしんどい思いまでしてなんで
続けなきゃならんのだ?」と、当然の疑問を抱き、もちろん「やめさせてくれ」と訴えたのですが、当時私の周辺の人たちは「サッカークラブに所属してない者は人にあらず!」と圧力をかけてくるんで辞めるわけにもいかず、でもクラブにも行きたくない。バックレようものならクラブから学校の担任に連絡がいき、そこから親の耳にも入るため三方向から叱られるハメになるのです。
また、少しでも弱音を吐くと、「あなたが自分でやるってきめたんでしょ!」と叱られたのですが、こっちからすれば「いやいや、あなたたちが圧力かけるから渋々やってるんだ!」と心の中で怒ってましたが、もちろんそんなこと言い出せるはずもなく、そのため「嘘」をつくことを覚えたのです。
その嘘とは「仮病」です。あるときどうしてもクラブに行きたくなくて「腹痛い」と嘘ついて練習に参加しなかったのですが
この「仮病」の成功に味を占めて毎回この手で休むようになったのです。
ところが蜜月のときは長く続きません。ある日練習をまたいつもの手でサボり駄菓子屋でお菓子を買っていたのを練習帰りのチームメイトに見つかってしまいそれを担任にチクられたのです。当然次の日先生に烈火のごとく叱られ、親にはそれ以上にこっぴどく叱られました。
担任と両親も口をそろえて「練習をさぼったことはもちろんだがそれよりも”嘘”をついたことが許せない」といっており、「どうしてこんな平気で嘘をつく子になってしまったのか」 「この子は異常だ」などとのたまいていました。
でもここで少し待ってほしい。「誰がこんな嘘をつくように追い込んだのか?」 「どうして”したくない”というメッセージを受け取ってくれないのか?」
日々のキツイ練習や理不尽な叱責、自分を邪険にするチームメイト、またクラブを辞めさせてくれない担任や両親から自身の身を守る唯一の手段が「嘘をつく」だったのだ。
「逃げられない」 「逃がさない」環境から小学生の子が必死になって編み出した自身を守る手段だったのにそれを「異常だ」 「お前は人として最低だ」などと一蹴しないでほしい。
今、問題になっている子供たちのイジメによる自殺もイジめた側よりもその環境から逃がさないように仕向けたのが大元の原因ではないのか?
仕向けたとは、「そんなのに負けてたら人生渡っていけないよ」とか「みんな多少なりと辛い思いしてるんだから」など
要は「皆がそうしてるんだからあなたもそうしなさい」ということである。
周りをまねるのはそんなに大事か?仮に自殺するかも?というリスクを背負わせてもそうさせたいですか?そうなりたいですか?
だから「逃げてもいい」
だから「嘘をついてもいい」
それがそのときあなたが身を守る唯一の手段だったのだから。
それはあなたが違う道を歩んでいたから。
そして逃げきったらあなたが本当に好きなこと、ホントはしたかったこと本気で探してみて。
本気で好きなこと、してみたかったことはいくらやっても辛くならないよ。
そして、それに本気で取り組んでる瞬間こそがあなたが一番輝いてるときだから。