思い出は美し過ぎて
思い出は美し過ぎて
小学6年生まで、九州のある街で育った。
家族ごと関東に引っ越してウン十年たつが、私の意識では今でもそこが故郷だ。言葉だって、家族と話す時はそこの方言が出る。
九州を出てから20年ほどたったある日。生まれ育った街を訪ねてみた。
暮らした家。暗くなるまで遊んだ公園。わくわくしながら通った駄菓子屋。
いったい、いくつ残っているだろうか?なつかしいものが無くなって、淋しい思いをした...とは、よく聞く話だ。
ところが。唖然とした。
全部あった。何も無くなってはいなかった。
すべてが古び、朽ち果てている。暮らした家がある通りはゴーストタウンに。公園の遊具は錆びつき、駄菓子屋のある市場はスラム街のように。
そして、威勢が良かった駄菓子屋のオヤジは老けこんだだけではなく、ボロボロのホームレスみたいになっていた。
不況だとは聞いていたけれど。
ショックだった。見なければよかった。むしろ、無くなってくれていた方がありがたかった。
ふるさとは遠きにありて思うもの。
思い出は美し過ぎるぐらいがちょうどいい。
小学6年生まで、九州のある街で育った。
家族ごと関東に引っ越してウン十年たつが、私の意識では今でもそこが故郷だ。言葉だって、家族と話す時はそこの方言が出る。
九州を出てから20年ほどたったある日。生まれ育った街を訪ねてみた。
暮らした家。暗くなるまで遊んだ公園。わくわくしながら通った駄菓子屋。
いったい、いくつ残っているだろうか?なつかしいものが無くなって、淋しい思いをした...とは、よく聞く話だ。
ところが。唖然とした。
全部あった。何も無くなってはいなかった。
すべてが古び、朽ち果てている。暮らした家がある通りはゴーストタウンに。公園の遊具は錆びつき、駄菓子屋のある市場はスラム街のように。
そして、威勢が良かった駄菓子屋のオヤジは老けこんだだけではなく、ボロボロのホームレスみたいになっていた。
不況だとは聞いていたけれど。
ショックだった。見なければよかった。むしろ、無くなってくれていた方がありがたかった。
ふるさとは遠きにありて思うもの。
思い出は美し過ぎるぐらいがちょうどいい。









