ちょっと懐かし昭和の思い出話
(サブタイトル)
つづき
この時、全日本が生み出した技に「A
・B・C・D クイック」「時間差攻
撃」「ドライブサーブ」等があったと
記憶する。特に「森田」が繰り出すド
ライブサーブは、当時は、森田のドラ
イブサーブを真似してみて、ボールが
突拍子もない方向によく飛んでいった
ものだ。
この大男たちを引き連れるのが「松
平康隆監督」であった。大男達に潰さ
れそうな体格の監督が、選手を一括す
る様は、まさに圧巻であった。
そして、準決勝のブルガリア戦、真
夜中の放送にも関わらず、家族みんな
でテレビ観戦だ。セットカウント0対
2。劣勢である。しかし、そこから何
と3セット連取してとうとう勝ってし
まった。「やった!」真夜中にも関わ
らず叫んだ。そしてその勢いで、その
後の決勝も3対1で東ドイツに勝って
金メダルを獲得してしまったのだ。日
本国中喜んだものだが、ほかでもない、
誰より喜んだのは「ミュンヘンへの道」
の製作スタッフ一同であったことは間
違いない・・・。