ちょっと懐かし昭和の思い出話
(サブタイトル)
(続き)
大阪の街は万博一色である。どこに行っ
ても「♪こんにちはー ♪こんにちはー
西の国から・・」と三波春夫の歌が流れて
いた。道行く人たち大半が、口ずさんでい
る光景に驚いたものだ。
万博会場は広く、ひどく美しかった。何
より正面に大きくそびえる「太陽の塔」が
圧巻である。その時は、大きくて変な塔だ
と思っていたが、今でも思い出すあの形は、
やはりインパクトがあった。岡本太郎は、
やはり天才であったのだと思う。
会場内は世界各国の人であふれていた。
ふと、自分が、外国にいるような妙な感覚
に陥りそうになる。
「アメリカ館」「ソ連館」「松下パビリオ
ン」「日立パビリオン」どのパビリオンに
入るにも大きなところは1時間~2時間待
ちである。真夏の暑い中、2時間も待って
「月の石」を見たはずであるが、記憶が全
くない。記憶に残っているのは、暑さと人
の多さと、暑さで尻一面にできたアセモの
痒さだけであった。
私にとって万博の思い出は、人ごみに始
まり人ごみに終わっていったことは、間違
いない。(1970年バンザイ!)