万博のはなし② | 意地に生きるも男の本懐 なんてね

意地に生きるも男の本懐 なんてね

意味はほとんどない・・・ひとりごと

ちょっと懐かし昭和の思い出話

     (サブタイトル)



(続き)


 大阪の街は万博一色である。どこに行っ

も「♪こんにちはー ♪こんにちはー 

西の国から・・」と三波春夫の歌が流れて

た。道行く人たち大半が、口ずさんでい

光景に驚いたものだ。



 万博会場は広く、ひどく美しかった。何

り正面に大きくそびえる「太陽の塔」が

圧巻である。その時は、大きくて変な塔だ

と思っていたが、今でも思い出すあの形は、

やはりインパクトがあった。岡本太郎は、

やはり天才であったのだと思う。



 会場内は世界各国の人であふれていた。

ふと、自分が、外国にいるような妙な感覚

に陥りそうになる。



「アメリカ館」「ソ連館」「松下パビリオ

ン」「日立パビリオン」どのパビリオンに

入るにも大きなところは1時間~2時間待

ちである。真夏の暑い中、2時間も待って

「月の石」を見たはずであるが、記憶が全

くない。記憶に残っているのは、暑さと人

の多さと、暑さで尻一面にできたアセモの

痒さだけであった。



 私にとって万博の思い出は、人ごみに始

まり人ごみに終わっていったことは、間違

いない。(1970年バンザイ!)