ちょっと懐かし昭和の思い出
(サブタイトル)
田舎の婦人会は、年に1回程度、慰
安旅行がある。その旅行は当時、必ず
といっていいほど宮島にある「近鉄宮
島センター」であった。当時のその施
設は、活気的でお風呂にも入れるし、
演劇も見れるという庶民の満足できる
最強の施設であった。主婦は、たまー
の息抜きを心から楽しみにしている。
当然のことながら旦那は一緒ではない
が、我が子だけは連れて行くことにな
る。当時の環境は、父親に子供を任せ
て母親だけ遊びに行くことなんか許さ
れることではなかった。必然的に子供
同伴の慰安旅行と落ち着く訳である。
貸切の市営バスをチャーターして朝
早くから出陣するのである。道中は短
いのだが、皆テンションが上がってる
ので、、少しのギャグで大笑いする。
どうしようもないギャグで大笑いする。
そんな「オバタリアン(死語か?)」
を見ながら、何がそんなに楽しいんだ
ろうと不思議に思った自分を思い出す。
子どもたちの目的は、風呂でも演劇
でもない。ただひとつゲームセンター
である。テレビゲームなんて存在もな
い時代である。1年に数回見るゲーム
コーナーの新鮮さといったら言葉では
表せないくらいである。ゲームコーナ
ーについた途端にテンションは最高潮
に達する。ほとんどのゲームは1回
10円であった。とりわけカーレース
のゲームは、人気があった。順番待ち
を何度もしながら、繰り返し繰り返し
トライした。「ウーン!おもしろい・
・・面白すぎる!」おかげで風呂など
1度も入ったことがなかった。
ただし、「ショー」が始まったら話
は別である。普段テレビでしか見たこ
とのない芸能人が目の前に登場すると、
会場は一気に空気が一変する。老若男
女がステージに集中するのである。「
畠山みどり」「三沢あけみ」「舟木一
夫」いろんな人のショーを見ることが
できた。とりわけ「山田太郎ショー」
で山田太郎が一心太助の衣装で現れた
時は、鳥肌ものであった。
腕をまくり上げ「一心鏡如」の刺青
をかざし、見得をきった時、心の底か
ら思った。
「かっこいい・・・!」
帰りのバスの中、私は思わず歌って
いた「僕の名前を知っているかい・・
・♪ 朝刊太郎というんだよ・・・♪」
「古すぎて誰も知らないかも・・・ゴメン」