電話のはなし | 意地に生きるも男の本懐 なんてね

意地に生きるも男の本懐 なんてね

意味はほとんどない・・・ひとりごと

ちょっと懐かしい昭和の思い出(サブタイトル)


 私が物心ついた時に、家には黒い電話機があった。

しかし、その電話機にはダイヤルもなければプッシュ

ボタンもついていない。四角の黒いスピーカーのつい

た箱に受話器がついた箱に受話器だけがついた非常に

シンプルな機械であった。いわゆる「ノウデン」と呼

ばれていたものであった。おそらく「農業とか農協とか

の電話」という意味で「ノウデン」と呼ばれていたのでは

ないかと思われる。


 その電話機は、すごかった。受話器を取るといきな

り交換手さんと繋がるのだ。各家には、番号が割り振

られていた。交換手さんに番号を告げると、いきなり

交換手さんは番号を連呼するのだ。「○番、○番、○

番、・・・・」十数回、相手が受話器を取るまで連呼

は続く。それでも相手が出ないときは、「お留守みた

いですね」と告げてくれる。「ありがとうございまし

た。また、電話します。」と受話器を置いたものだ。

ただし、その電話には欠点があった。誰と誰が話し中

であっても、その会話が全部聞こえてしまうのである。

であるから、電話で他人の人の悪口なんか絶対言えな

いのである。そのため必要最小限のことだけを伝える

ため長電話は少なかったのではないだろうか?



 ちなみに地元以外の市内に電話する時は、交換手さ

んを通じて接続できたと記憶している。ただし問題な

のは、市街に電話する時である。「ノウデン」では接

続できない。よって、公営住宅においてある黒電話に

電話しに行かなければならないのだ。市街に電話する

のは、家事が終わってからが多いので、夜行くことが

多かった。母は、夜一人で公営住宅に行くのが怖かっ

たのであろう。大体の場合、私が一緒に連れて行かれ

た。

 「後、料金お願いします。」と告げて接続する。電

話が終わった後料金を確認し、ノートに金額を記入後、

金庫に料金を入れて帰るのである。それでも料金が合

わなかったということは一度も聞いたことがなかった。

昔の人は正直でルールを破る人はいなかったのである。

誠に他人というものを信じ切ったシステムである。ア

パレとしか言いようがない。


 「ノウデン」と「市街用黒電話」、実に上手に共存

していたものだ。

 ちなみに、我が家の「ノウデン」の番号は7番であ

った。今でも「7」の番号にこだわるのは、その影響

である・・・・のは、間違いない。