僕の「ICHIBANN物語」9 | 大陸的F1編集後記

僕の「ICHIBANN物語」9


イタリアを何とか切り抜け、空路ロンドンへ。


ここイギリスではヘンリーレガッタの撮影と、メインはウィンブルドンのテニスの撮影だ。

もちろん今までも様々なスポーツを撮影してきたが、やはり日本国内とは勝手が違う!

ましてやテニスの聖地ウィンブルドンとなれば知っているだけに緊張も増す。

さらに僕自身もテニスをやっていたので、「ウィンブルドンのセンターコート」と聞くだけで、

もうそれだけでワクワクしてしまう。


通称ウィンブルドン、正式にはオールイングランドローンテニスクラブ。

初めてのウィンブルドン、明日からの戦いに思いを馳せ観客席からセンターコートを眺めてみる。

1年をかけて整備してきたセンターコートの緑の芝が眩しく輝いている、

残念だが、2週間に及ぶ大会が終わるころにはこの芝は見るも無残に剥げ、

また来年のためにこのセンターコートは使用できなくなる。

ここの会員にはとても理不尽なように僕には思えるが、むしろ彼らはそれを誇りにしている...


通称グランドスラムと呼ばれる大会は128ドローになり、(つまり128人が本選に出場できる)

男女それぞれに2週間に渡り開催される。

大会初日のセンターコート、そこにはビヨン・ボルグの姿があった。

寡黙なスウェーデン人プレーヤーは、

芝のコートではサーブ&ボレーのプレースタイルが有利と言われてきた定説を覆し、

ベースラインプレーで連覇を成し遂げていた。

地味なプレースタイルだが彼は現役を引退するまでそのスタイルを貫き通した。


続いてセンターコートにはジョン・マッケンローが登場し、

初戦から派手なアクションとジャッジにクレームをつける姿はテレビで見たままの悪童ぶりだ。

いずれのプレーヤーも雑誌やテレビで見る程度の存在だったので、

正直に言えば結構嬉しく興奮していた。


初めてのウインブルドン、初めてのイギリス、何もかも初めてづくしだったが、

もう一つ初めてのことが起きたのはトーナメントも佳境を迎えた2週目だった。

日没になり撮影を終え、レンタカーでホテルまで戻ろうと走り出し、ロンドン市内に近いづいたころ、

横断歩道に黄色いボンボリみたいなランプが点灯しているのは解かっていたが、

その意味するものは理解しておらず、歩行者がいたけれども、

まあこのタイミングなら...という感じで歩行者の前を横切ると、

その先にいたあの映画で見る山高帽みたいな帽子を被ったポリスが僕を止めた。


そんなに危ないタイミングでもなかったので、何で?と思い車を止めると、

ポリスは結構な剣幕で僕に迫ってきた...

な、なんだ!そんな重罪を犯したのか?

う~ん、昨日までイタリアで聞いた英語とは全然発音が違う、

これがクィーンズ・イングリッシュなのか?

まるで何を言ってるか聞き取れない...


プリ~ズ、スピークスローリー!

やっとの思いでポリスの剣幕を抑え、伝えると、

今度は1センテンスごとに区切って話してくれた。

ホッ、これなら判る!なんて安心していたらとんでもない!

イギリスでは横断歩道に黄色いランプが点灯している際には、

歩行者がいたら必ず停止しなくてはならないという道交法があったのだ。

知らないこととはいえ、違反は違反だからと、

冷酷にもポリスは僕にチケットを渡す。


これが海外での記念すべき初の違反切符となった。

しかしこの当時から25年以上過ぎ、今までに世界中で頂いた違反切符、罰金の数々は、

合計したら一体いくらになるだろうか?

(もちろん払っていない切符も多数あるけれど...)