峠まで歩きましたが、八粁足らずの道程だと思っていましたのに、背丈 ほどもある熊笹をかき分けるのに手間どって、予想外に時間を費やして しまい、日の長い五月の一日も暮れようとしていました。

山のベテランと もなると、用意のテントも持参していますし、野宿は平ちゃらです。さすが に人跡未踏のこのあたりでは、見たこともない超良質のぜんまいがそこ ら中にあって、うなっていました。

今晩は泊まり、明日は一日中かけて、山菜を集めれば、運び切れない ほどのえらい数量のぜんまいを確保できそうだ。二人で採れば六十キロ は超すに違いない。乾燥しても六キロは出ると計算しました。キロ当たり 一万ですから、六万円以上になりそうだと、われながらみみっちい計算を していました。
突然、私達の目の前に老婆が現れました。初夏の日暮れの逆光線を
浴びて、音もなく姿を見せたとき、私と息子はぎょっとしたのです。乱れた 髪としわだらけの顔はよいとしても、ぼろ切れなのか南京袋をほごしたも のなのか、衣裳めいたのを身にまとって、帯の代わりに蔦を使っていま す。

どうしてもこの世の人とは思えない形相でした。地底から涌き出るよ うな声をしぼって、何やら尋ねているのです。私は山の衆と言われている 独特の〝またぎ〟の言葉も知ってますが、それとも違うようでした。判ず ると、お前さん方はどこに行くつもりなのか。峠から向こうには行っては いけない。今晩はおそいから自分の住処に泊まっていけ。そんな意味で した。

つづく