突如、青年は細い目をカッと見開き、唾を飛ばしながら、この地の方言で何やらまくし立てた。
それはあまりにも古い言葉で、どもりもあったせいでよく聞き取れなかったが、
こちらに対して怒りを向けている事は確かだった。青年はワァワァと甲高い声で喚きながら、
手にした人形の体をグリグリと押し付けた。しっとりと濡れた髪が頬を撫で、背筋が震える。
H氏はその勢いに押され、片足を田んぼに踏み入れてしまい、白いスニーカーが茶色に染まった。
その様子を遠巻きに見ていた地元のお爺さんが駆け寄り、青年をなだめ、家へ戻れと促した。
お爺さんはH氏に、可哀そうな子だから許してやってくれと言い、事情を説明した。
青年は元々、心を病んでいたが、何年か前の冷夏で棚田が壊滅的な打撃を受けて以来、
稲に忍び寄る見えない敵を追い払うため、様々な人形を手にして田を見回るようになったそうだ。
台風が来た時などは、家族の制止を振り切り、暴風雨の中ひとりで稲を守った事もあったと言う。
H氏は棚田の隅にある湧き水で足を洗い、よたよたと濡れた重い靴を前に出し山を下りた。
帰る途中、澄んだ流れの川が見えたので、写真を撮ろうとカメラを向けた。
すると川上から、見覚えのある貴婦人が頭を岩にぶつけながら流れてくるではないか。
(あの人形の中には、自分が田に持ち込んだ禍が宿っているのだろうか?)
H氏はそんな事を思いながら、川下の常世へと旅立つ貴婦人を静かに見送った。