就職後は近場の山ばかりで、久々に八ヶ岳に出向いたのは教師
になって6年目の事だった。当時、先生には結婚を申し込もう
と考える彼女がいた。断られれば憂さ晴らしに八ヶ岳に登る
予定だったが、OKをもらっても独身時代の登り納めなどと
言い出かけたそうだ。
数年間、年賀状だけのやりとりだった
小屋の主に会うのも楽しみだった。あえて連絡をせずに出かけ
たのは、疎遠からくる照れのせいだけでなく、驚ろかせたいと
いうイタズラ心もあったそうだ。美しい景色を堪能しつつ辿り
着いた小屋は、いくらか改装されて昔の面影は薄れていた。
それでも、前に立つと胸が熱くなったという。案の定、主は
驚き、再会を心から喜んでくれた。しかし、驚いたのは主だけ
ではなかった。主の口から驚くべき言葉が飛び出したのだ。
『結婚するんだろ?今度は嫁さんも連れてこい』
結婚の話は先生と彼女の間で交わしただけなのに、やはり主は
客に聞いたという。客の特徴を聞いても特定はできずじまいで、
気味が悪い話とも言えるが、お化けでも何でも、気にかけて
くれるのは有り難いことだ。
悪いことはできないなと、先生が
笑っていたからか、嫌な印象はなく不思議な話として残っている