…演奏が始まって、10分も経った頃かな、おれの隣にいた奴が、
「おい、オレ達の他に誰かいるぞ。」
と囁いた。
おれはぎょっとして耳をそばだててみた。
確かに、渓流の向こう岸で、息づかいが聞こえる、ような気がする。
演奏と水音が大きくて判りにくいが、何かの気配は確かに感じられた。
霊現象と結びつける奴はいなかったけど、この場合、獣の方が逆に怖い。
Bひとりが、相変わらず陶酔して独演会を続けていた。
~タヌキじゃないか?~クマだったらどうする?~襲って来るかな?~
おれ達が蒼くなってひそひそ声で相談しているのに気がついたか、Bはスティック(=菜箸)を操るテンポを落とし、やがて演奏を終了した。
そのとたん。
一瞬なんだが、たしかに向こう岸で「わあっ!」って歓声が挙ったんだ。
若い女か子供が、何人かで一斉に喜んだ声って感じかなあ。
ほんの、一瞬。
そのあと気配は消え、渓流の水音しか聞こえなくなった。
皆の様子を見回すと、全員驚いた顔でお互いの様子を伺ってる感じ。
今の聞いた?うん、おまえは?みたいな。
拍手まで聞こえたぞ、って、誰かが言った。
そのあと、暫くみんな黙っちまってさ。でも耐えきれない恐怖、ってんじゃ無くて今のは何だったんだろ、とそれぞれ考え込んでたんじゃないかな。
やがて、Bが、なあ、今の何?と震え声でおれに訊いた。
おれは、さぁ、わかんねェよ、としか答えられない。いやマジで。
そしたら、仲間内で一番山経験の豊富な男がこんなふうに説明してくれた。
「たぶん、今のは山の精霊の歓声だと思うな。
B君の演奏があまりにも素晴らしいんで、聞き惚れて出て来たんだと思う。
君の音楽は山に歓迎されたんですよ。」
おれは、こいつ、キザなこと言うなぁ、と半ば呆れたが、納得もした。
まあ、きっとそうなんだろうな、と思った。
たぶん、みんなもそうだったと思う。
そしたら、Bが泣いちゃってさ。
おれの音楽の腕を、山の神様が認めてくれたんだ!って。
日本でもアメリカでも認められなかったおれの腕を神様が認めてくれた!
おれのプレイで山の神様が喜んでくれた!って。
笑いながら泣いてやんのw
…帰りがけに金網のカギを返す為、青年団副団長の家に寄った時確かめたけどやはりあの晩、あの渓流にいたのはおれ達だけだった。
Bは昔の仲間の紹介で、音楽系の出版社に就職して、堅実な生活を始めた。
青い目の奥さんも、子供も大事にして、幸せに暮らしてるよ。