「イノシシじゃないな」。正夫はそう判断しました。イノシシにしては体が
細すぎるし、体毛もそんなには生えていません。「狼か?」一瞬そう思いました
が、この山中に狼がいるなんて聞いたことも見た事もありません。良く見ると、
「それ」は地面に横たわった、先程のイノシシの子供を食べています。
獲物を
横取りされた様に感じた正夫は、「それ」に向かって猟銃の狙いを定め、撃とう
としましたが、引き金にかけた指が動かないのです。それどころか、体が金縛り
にあったかの様に動きません。奥歯だけは恐怖のあまりにガチガチ鳴っています。
そして、正夫の気配に気がついたのか、「それ」は食事を止め、ゆっくりと正夫
の方に顔を向けました。
どう見ても、それは人間の顔だったそうです。しかも、
2~3歳くらいの赤子の。体長は1m50cm程で、豹の様な体、薄い体毛。
分かり易く言うならば、「豹の体に顔だけ人間の赤子」と言った風貌です。
「バケモンだ・・・」。正夫の恐怖は絶頂に達しました。「それ」はイノシシの
血でギトギトになった口を舌で舐め回しながら、正夫に近づいて来ます。
「殺される」。正夫がそう思った瞬間、タケルが「それ」に飛びかかりました。
タケルは「それ」の右前足に食らい付き、首を激しく振っています。「それ」は
人間の赤子そっくりの鳴き声をあげ、左足でタケルの鼻先を引っ掻いています。
暫く唖然としていた正夫ですが、我に返ると体が自由に動く事に気がつきました。
すぐさま1発撃ちます。不発でした。
「そんな馬鹿な」。正夫は猟銃の手入れを
欠かさずやっており、今日も猟に出る前に最終確認をしたばかりです。もう1度
引き金を引きました。不発です。正夫が手間取っている内に、「それ」はタケル
の首筋に食らい付きました。タケルが悲壮な鳴き声を上げます。
正夫は無我夢中
で腰に付けていた大型の山刀を振りかざし、こちらに背を向けている「それ」の
背中に斬りつけました。
「るーーーーーーあーーーーーー」
と発情期の猫の様な鳴き声で「それ」は鳴きましたが、またタケルの首筋に喰らい
ついたままです。正夫はもう一度山刀を振りかぶり、「それ」の尻尾を切断した
のです。