吉良親実は従弟の長宗我部信親の死後、長宗我部家督に元親の次男・香川親和を推し、
四男盛親を推す元親と対立し、切腹を命ぜられた。そのときに家臣たち7人も殉死したが、
それ以来親実の墓所に様々な怪異があり、日を経るごとに大高坂城下にまで現れるようになった。
人々はこの怪異を「七人ミサキ」と呼び恐れた。


「七人ミサキ」とは、親実に殉死した吉良彦太夫、
勝賀次郎兵衛、宗安寺真西堂、永吉飛騨、城内太守坊、日和田与左衛門、小島甚四郎の
七人を指すという。
親実自身が入っていないのは、その名前を口にすることを禁忌としたためらしい。(親実を入れると八人)
兎も角、親実らの怨霊は生前の敵を祟り始める。


この仇敵こそ吉良親実と比江山親興を
死に追いやった黒幕、久武内蔵助親直である。なんと親直の子供達八人中、七人が
亡くなったのである(末子一人が生き残っている)。
さらにこの多重死を目の当たりにして、親直の妻も精神に異常をきたし自害。


これらの怪異の報告が毎日のように届けられる状況を憂慮した元親は、
国分寺において法要を執り行ったが
効果はなく、最終手段として吉良親実を神として祀ることに決め、
木塚明神を建立、現在の吉良神社の縁起となった。
この後は「七人ミサキ」の怪異は現れなくなったという。