東南アジアを中心として広くアジア地域一帯に根づいている民間信仰の
 ひとつに「客人(まれびと)信仰 というのがある。すなわち遠くから訪れる旅人
 を神の使者もしくは神そのものと崇める考え方である。神の使者または神
 そのものとしてみなされた旅人は手厚いもてなしを受ける。東南アジアの
 辺境地を旅行したことのある人は村人から大歓待を受けて感動した経験を
 きっとお持ちのはずだ。
●「客人信仰」はもちろん日本にもあった。(今もあるというべきか)
 郵便・電話等の通信手段や新聞・テレビ等のマスメディアが発生する以前
 の情報伝達手段は人の口から口への伝言に限られており、ましてや昔の
 人々はめったに自分が住む村から出る機会がなかったから、遠くからやって
 来た旅人の話が未知の土地の出来事を知る唯一の情報源であったに違い
 ない。
●遠くからやって来る旅人、すなわちヨソモノは、村人に様々な幸福をもたら
 したであろう。
 その村にはなかった便利な道具や美味しい食材、美しい着物、あるいは今
 まで治療を諦めていた難病の特効薬。しかし同時に旅人は不幸をももたら
 したかもしれない。


 とんでもない偽物を売りつけられたり、その村には
 なかった疫病を持ち込まれたり、旅人は村人にとってある時は神様であり、
 あるときは魔物であった。そういう意味で旅人は村人から尊敬と畏怖が入り
 交じった感情で迎えられていたのだろう。
 すなわち村人にとっては旅人そのものが良い意味でも悪い意味でも
 「What's New」だったわけであり、そうそういった経験と感情の積み重ねから旅人
 を何か特別な存在とみなす考え方が生まれ、それが「客人信仰 につな
 がっていったと考えられる。
●江戸時代までの旅人は
 街道をてくてく歩いて
 やって来たが、明治以降に
 なると汽車に乗ってやって
 来るようになった。
 遠来の旅人を最初に迎え
 入れる場所が鉄道駅であり、
 駅及びその周辺は特別な 空間とみなされるようになった。
 又、村人にとっても鉄道駅は、
 そこへ行って汽車に飛び乗れば未知の世界へ旅立つことが出来る、大袈裟
 に言えば、駅の改札口は異次元空間へワープする扉であり、そこで切符を
 切る鉄道職員はその扉を守る番人のような存在であったわけだ。
 (なんでそんなことが言い切れるのかというと、私自身が幼少時代、ちょっと した事情があってほとんど旅行に行けなかったのだが、鉄道駅に対して
 常にそういう感情を持っていたからだ)
●人々にとって鉄道そのものが「What's New」であった時代は、当然のこと
 ながら鉄道に纏わる民話や奇談、怪談の類に至る様々な話が語り伝え
 られてきた。
 やがてマスメディアが発達し、又、交通機関も自動車に主役の座を奪われ、鉄道が人々にとって必ずしも「What's New」ではなくなってくると共に、それら
 の多くが再び忘却のかなたにおしやられようとしている。
 しかしかって語られた民話や奇談・怪談はそのまま忘れ去られてしまうには
 あまりにも惜しい興味深い話が少なくない。
 そういった話を少しでも収集・保存・紹介できればと思う次第である。