1986,7年頃の夏である。当時、東京から谷川岳へのアプローチは、上野を23時頃発の越後湯沢行きの普通列車にのって深夜に土合駅に着き、そのまま駅で野宿して翌朝歩き始めるのが一般的であったように思う。まだ上越新幹線がメジャーでは無く、ガーラ湯沢駅もなかった。このあたりのリゾート開発が始まる前のことで国鉄ものんびりしていた。上野から初乗料金で乗り込んでも、車内改札が土合駅まで来なかったのである。
土合駅に列車が到着すると、同じような登山者が地上への階段へと急ぐ。土合駅は基本的に無人駅だったので出札口には列車到着時だけ駅員が来ると聞いていた。我々3人(私と登山仲間HとT)は意識的にもたもたして登山者の列の最後尾を歩き、他の登山者の姿が見えなくなるとホームの中央にとって返した。  学生の身分であった我々は上野からキセルを敢行するために、思い切って誰もいない下りホーム(土合地下ホーム)で仮眠し、駅員がいなくなる早朝を見計らって出札口を出ようと計画したのであった。
 地下ホームはトンネル内なので薄暗く、ところどころ漏水があって、真夏でもひんやりしていた。 ホームの中央あたりに小さなプレハブ状の待合室が置かれており、その常夜灯で比較的そこだけぼんやり明るかった様に記憶している。我々は待合室に入り、少し寒かったので万一の予備に持参してきたツェルトにくるまって仮眠をとることにした。夜行発日帰りの計画だったため寝袋は持って来なかったのである。
待合室は我々の荷物と寝場所で、余りのスペースはさほど広くなかったように思う。