8月25日、K心療内科に受診した。

なかなか予約が取れず、このときにはすでに休職して1ヶ月が過ぎようとしていた。

診断書も貰えてないため、すべて欠勤になっていたことも心配事の1つだったから

このときはとにかく受診できてほっとした。


実は半年ほど前にもこのK心療内科を一度受診したことがあった。

そのときは夜があまり眠れなくて、睡眠導入剤を処方してもらうために受診した。

その一回きりで、それ以降は来ていなかった。


診察室では机を挟んで対面で先生と座る。窓と机以外は何もない無機質な部屋、大きな窓からは太陽の陽射しで明るい部屋でそれが心地よかった。

他の病院、少なくとも自分が働いていた病院の外来はたくさんの患者がいて診察室でも処置室でもガヤガヤと騒がしい声が聞こえる。

色んな物が置いてあって消毒の匂いと白色蛍光灯の眩しさにクラクラする、それが私の病院のイメージだった。

K心療内科は街の中心部からは少し外れている場所にあって、小さいクリニック。

完全予約制で、待合室も小さく待っている患者もほんの数人しかないから静かだ。

私の担当医となったのは優しい顔つきのおじいちゃん先生。なんでも肯定してくれて、ゆっくり静かに話を聞いてくれるのが楽だった。



今までの経過を自分なりに話して診断書を書いてほしいことをお願いすると、おじいちゃん先生は予想外の質問をしてきた。

先生は様々な体型の女性の写真を私に見せて、


「貴方は自分の体型が、この中のどれに近いと感じるかな?」


↑イメージ図


私は躊躇なく右から2番目のふっくらとした女性の写真を指差した。

おじいちゃん先生は「そうか〜‥」と悩んだように診断書を書いてくれた。

そして私に毎日の食べたものを記録して、次回受診時に記録したノートを持ってくるようにと指示した。


その日もらった診断書には、

〈摂食障害、抑うつ状態、不安障害〉

と書かれていた。







「もう、看護師辞めたいです。」


そう師長に告げたのは看護師3年目、夜勤明けの朝だった。

23歳、じめじめとした暑さが出てきた7月後半。

その日の夜勤は何事もなくいつもと変わらない平和な夜だったことを覚えている。

ただ1つ明らかに違ったことは、先輩が休憩に行っている2時間弱、退職願を何回も書き直して、何て師長に伝えようか悶々と考えていたことだ。


いつもの夜勤明けなら清々しい気持ちで「お疲れ様でーす!」と元気に病棟を颯爽と出て、

他の病院で働いている同期とカラオケで夜まで騒ぐのがお決まりだった。


でも、その日は「もう辞めよう」それだけを思って1日を過ごしていて、仕事も手につかなかった。早く夜が明けて、7時過ぎに出勤してくる師長に早く会いたかった。勿論それは、退職願を出すためであって、あの時はもう限界だったんだと今でも思う。


7時半頃に師長が病棟のいつもの席に座っているのが、ラウンドから帰ってきてすぐに見えた。

いつ言おう?何て言おう?何て言われるだろう?とにかく不安だった。

パソコンで記録を打ちながらも、頭の中はそればっかりで、記憶力には自信がある私だがその頃入院していた患者のことはよく覚えていない。

そんな不安が顔に出ていたのかもしれない。

師長に突然話しかけられた。

「ねえ、どうした?最近暗いけど‥」


そして冒頭に戻る。


師長の返事は一言。

「まず休みなさい」だった。師長曰く、その頃の私は他のスタッフも心配するほど様子がおかしかったらしい。暗くて何か悩んでいる様子なのに大丈夫なのか聞くと笑顔で「大丈夫です」という。

具合が悪いわけではなさそうだけど、前と違うと病棟のみんなが感じていたそうだ。


そんなわけで1ヶ月、休職することになった。


急に1ヶ月休むとなると、元々入っていたシフトに大きく穴を開けることになる。

たくさんの人に迷惑をかけることが私には苦痛だった。

その頃、産休のスタッフが数人いたり、家庭の事情で少しの間休職しているスタッフがいたりしてかなり人手不足だったと思う。

そんな中、私が長期の休みを取ることを快く思わない人が大半だろうと思ったし、迷惑と言われていると思っていた。

本当に言われているかどうかは聞いていないから分からない。

しかし私は〈言われている〉と思いこんでみんなが私を悪く言っていると思っていた。

(後に、これがうつ症状の1つだと知った。)



この時から数ヶ月間、私の人生は地獄だった。