<禅と陽明学の思想的背景>


   不思善、不思悪、正与麼の時、那箇か是れ汝が本来の面目 (六祖慧能)

   無善無悪是心之体 (善無く悪無きは是れ心の体) (王陽明)


   これが、禅で言う 「実相」 (自己本来の面目) であり、

   陽明学に言う心の本体 (明徳) である。


   以下の三句は、禅に言う 「機関」 (方便) であり、

   有善有悪是意之動 (善有り悪有るは是れ意の動) を第一句 (認知) とし、

   知善知悪是良知 (善を知り悪を知るは是れ良知) を第二句 (認識) とし、

   為善去悪是格物 (善を為し悪を去るは是れ格物) を第三句 (行為) として、

   総じて、場の 「三要」 (三分) と為し、身口意に渡る 「三業」 としている。


   ちなみに禅と陽明学の根本的な違いは、禅は 「実相」 に重心を置くのに対して、

   陽明学では方便であり権法である 「第三句」 (実践/行為) に重心を移している。