<一句合頭語 万劫繋驢?>


   禅籍に於いて、これに類いするような言葉を

   見つけ出す事は比較的容易だ。

   たとえば、「説似一物即不中」 などもそうなのだが、

   ここには、頭で考えられた世界と実際の世界との乖離、

   言葉の世界と実際の世界との決定的なギャップが表明されている。


   次に掲げる偈頌も、おそらくこのような場の状況を開示して、

   過不足なく余念なきものとなっている。


   「諸 (もろもろ) の玄弁 (げんべん) を窮むるも、

   一毫 (いちごう) を太虚 (たいきょ) に致 (お) くが若く、

   世の枢機 (すうき) を竭 (つく) すも、

   一滴を巨壑 (こがく) に投ずるに似たり」。


   いわゆる棒で名高い徳山が、その昔、師匠である龍潭和尚に

   苦杯を舐めさせられた時の投機の偈であり、その感慨であり、

   獅子吼である。