<場の救済>
――― 自己内外する場の叡智
この清明なるものを看よ!
それは、自己対称化し反対称化する、
観世音にして観自在な場の叡智である。
『無門関』 二十三 「不思善悪」 より
明上座曰く、
「我は来たって法を求む、衣の為にするに非ず。
願わくは行者 (あんじゃ) 開示したまえ」。
六祖云く、
「不思善、不思悪、正与麼 (しょうよも) の時、
那箇 (なこ) か是れ明上座が本来の面目」。
明、当下 (とうげ) に大悟、遍体 (へんたい) 汗流る。
泣涙作礼 (きゅうるいさらい) し、問うて曰く、
「上来の密語密意の外、還って更に意旨有りや」。
祖曰く、
「我れいま汝が為に説くものは、即ち密に非ず。
汝若し自己の面目を返照せば、密は却 (かえ) って
汝が辺 (へん) に有らん」。
・ ・ ・ 眼光紙背に徹して看取し去るべし。