<映画 「告白」>


   昨日は曇り空で、一日中ぐずついた天気だった。

   おかげで、ずい分過ごしやすくなった。

   朝から蝉が元気だ。


   
   昨日の午後、買い物のついでに映画を観てきた。

   見逃していた映画 「告白」 である。

   
   現代のニヒル、心の闇を描いた秀逸な作品、

   それも、幼い娘を殺された女教師の告白から始まる

   父親不在の復讐劇。


   ひょっとすると、これは母親の目線、或は、子供の目線で語られる、

   へその緒で繋がった母と子の、過不足し濃淡するアンビバレントな

   愛憎関係を断ち切ろうとする、「母親殺し」 (母性からの自立) が

   テーマではなかったか。


   映画を観ながら、なぜかわたしは秋葉原無差別殺傷事件の被告、

   加藤何某の弁護人に依る被告人質問とその供述を思い返していた。


   ここでは、岡田将生演じる浮いた若い男性教師と共に、

   父親とは、「不在者」 か、 「愚か者」 の代名詞であり、

   すでに形骸化したうわべだけの無責任な社会システムと、

   その理想化された象徴 (仮の姿) であるにすぎない。


   この視線の底辺には、子供たちの親や家庭、或は、社会に対する、

   違和感を越えた拒否と絶望があり、居直るしか生きる手立てのない

   いきどおりと、すかして生きるしかない揶揄と嘲笑の自虐と、

   どす黒い自己破壊的な衝動がほの見えている。