<自分の時間>
ほっと一息つく時間帯がある。
それが、アフターファイブであったり、
ティータイムであったり、人それぞれであるが、
いずれにせよ、マイペース、マイスペースを取り戻した
自分の時間、自分の時空であることには変わりない。
ふだんは半ば強制的に、或は、半ば自発的に、
社会的時間とも言える客観的な時計時間の中で
半導体のように暮らしているのだが、
この客観的な時計時間から開放されることで、
人はようやく自分の時間、他者との関係的行為ではない
自分の時間が取り戻される。
その意味では、今日的な自分の時間とは、
社会的な合意形成、或は、共同幻想のもとで計られる、
社会的時間の “はざま” であり、
時計的時間の “すきま” でもあって、
他者的な関係的時間や関係的行為から逸脱した
脱落の時間帯、時計 (時間) なき時間帯といえる。
これが、日常する時間的な有無を言わせぬ生理的時間であり、
時間を無視して生死する無時空的で生物学的な時間帯である。
何だか分かったような分からないような話で ・ ・ ・ ごめん。