<如意輪観音> 


   自我的反応とも言える恣意性や偶意性が滅却した現場では、

   自閉的で自己撞着的な心理的事態性から開放されて、

   場の必要性に応じた 「当為」 のみの現成となっている。

   
   言わば、全方位的な尽十方方向への自由自在な不可逆的対応、

   「正応」 する自明的行為とも自覚的行為とも呼ばれる

   <如意輪観音> (観自在菩薩) の現成である。  


   ちなみに、

   恣意性は、唯識に言う 「偏計所執性」 (因果) に相当し、

   偶意性は、「依他起性」 (因縁/縁起) に相当している。