<可能性について>
――― 自律自戒性の目覚め
何でこんなところに、いきなり自殺が出てくるんだとも思うが、
自殺もまた他殺と同じように 「できる」 (可能性) という、
人間的行為の可能性の (領域の) 一つに数えられるからだ。
我々人間が、常に自殺の可能性を持っているように、
状況によっては、他殺の可能性も併せ持っている。
自殺が、自らの可能性を収束させ封印する行為だとすれば、
他殺は、他者の可能性の全体を奪い去る行為だと言える。
このように <不可能性 (死) を可能にする> ことも出来るし、
同時に、<可能性 (生) を不可能にする> ことも出来る、
と、言うことが、
人間の絶対的な可能性の自由を保障しているのであって、
これが単に、一面的で一方的な自由とか可能性だけでは、
およそ自由や不自由の意味も、可能性や不可能性の限界も見えては来ず、
返って、際限のない自由と可能性の中に在って、
死ぬことも休むことも出来ない、永遠の不自由や不如意を嘆くこととなる。
自殺であれ他殺であれ、死という不可能性 (限界) が提示されることによって、
より、生きることの意味、生、及び生存の意義が浮かび上がる。
言わば、とてつもなく有り難い生と死を含む 「可能性」 として、
あるいは、自殺や他殺でさえ可能にする、とてつもなく重い 「自由の行使」 として、
「できる」 と言うことの意味と行為との厳粛さや厳格さに思い至るのである。