<哲学的ゾンビ>
弁解と弁明に終始することがそんなに立派な事なのだろうか。
ある種推論し、仮説し、それを実証して見せることが、
そして、<現にそうであり、そうであったこと> が、
そんなに特筆すべき事柄なのだろうか。
( 只、「辻褄が合った」 と言うだけなのに ・ ・ ・ )
論理的推論、もしくは、仮説が、つまり、論理的な首尾一貫性が、
<現にそうである> ことによって破綻なく証明されたからと言って、
その証明の担保に用いられるものが、
疑義を挟み、疑念を持った当面する現実だとは、
いったい、何というマジックの 「種明かし」 なのだろう。
好肉上に傷をえぐる、という言葉があるが、
また、風無きに浪を起こす、とも言うが、
俺たちはいったい、何を発見し発明し、発信したと言うのだろう。
( 俺は帳尻を合わす為だけに生きてるんじゃない !)