<できるってこと>

   
   アレコレとものの良し悪しを言う前に、

   「できる」 (可能) ってことが大事なのだと思う。

   正確に言えば、ものの良し悪しさえ 「判断できる」 ってことが、

   とても大事なのだと思う。

   
   それが何であれ、立ったり座ったり、歩いたり走ったり転んだり、

   泣いたり笑ったり、悩んだり苦しんだり出来ることがすばらしいのだと思う。

   出来なくなってからでは、ほとんど手遅れ。


   だから、まだ座ることにこだわったり、

   唱えることや信じることや、祈ることにこだわるのは、

   偏屈と言うか、出来ることの喜びを知らない人たちが

   出来ることの喜びを知るためのプロローグ、

   もしくは、イニシエーション (通過儀礼) なのだと思う。 

   
   だって、そのようにする (思う/合わせる) ことだって、

   しない (思わない/合わせない) ことだって出来る

   「自由」 を手にしているのだから。