その心が自ら閉ざされた心である以上、無理にこじ開けることは誰にもできません。

   せいぜい北風のようにではなく、太陽のようにそれは為されるのでしょう。

   
   しかしそれだって、他のあらゆる 「機会」 と同様に一つの 「機縁」 に過ぎません。

   おそらく、因縁 (或は、「因縁生起」 即ち、「縁起」) ということで言えば、

   「助縁」 (客観的状況) に過ぎないのでしょう。

   
   それは、ほとんど 「契機」 (きっかけ) といったものと同義であり、

   具体的な自然環境や、周辺する社会的状況となんら変わりありません。

   
   しかし、どれほど状況や環境が整えられても、

   本人が自ら心を開こうとしない限り、すべて無駄足に終わるのです。

   私たちは、ここに人の心のむずかしさ、困難さを抱えています。

   
   その意味では、人の心はそれぞれに独立しており、連続性や持続性が絶たれています。

   言わば、そこには 「断絶」 があり、越えられぬ 「暗渠」 が横たわっているのです。

   
   いずれにせよ、人の心が開かれるのは、

   心を閉ざす本人が、みずから自律的、自発的に心を開くのでなければ、

   「救い」 にも 「救済」 にもならないのでしょう。


   わたしは不遜にも、そんな神にも仏にも頼らず、

   他の誰にも頼らない 「自己救済」 のようなものを願っているのです。


   これでは、このようなことを生業にしている人たちにとっては、

   商売上がったり、ではありますが ・ ・ ・ 。