未だ無分別で無自覚な <覚> が、分別的な自覚である <信> に堕ちて、

   始めて人の心となり、人の認識 (分別意識) となる。


   これが、覚の自律的で自発的な対称性の破れであり、真空の相転移である。

   また、これを <場の対称性の破れ> と呼び、<真空妙用> とも呼んで、

   ≪神通妙用≫ としている。


   覚も覚のままだと、つまり無分別で無自覚のままだと <出身に路なし> で、

   一向に世間のハタラキとはならず、世間の役 (用) には立たないからである。

   
   ですから、人が人の子となるにはどうしてもこの関門をくぐり抜け、

   尻を叩いてでも 「オギャー」 と、泣かなければならなかったのである。