『啓示』 の続き


   私は 「人の心」 を、一応、三つのステージに分けている。

   あくまでも便宜的に、という意味で。   (一即三・三即一)

   
   <覚の立場> <信の立場> <行の立場> と、言った具合にである。


   覚の立場というのは、「覚的現況位」 のことであり、「自覚そのもの」 である。

   言わば、心の第一義的な存在的・現象的な場所的在りようであり、自覚本体である。

   従来より言われる、

   「無意識の自覚」 或は、「無自覚の自覚」 と呼ばれるものがこれに相当する。

   自覚の当体 (体の無い体) が、未だ無意識であり無自覚であるためである。


   次の信の立場というのは、<覚の破れ> をいうのであり、

   「認知」 及び、「認識の出自」 であり、「意識の現成」 である。

   言うところの 「人の立場」 であり、「気付き」 (目覚め) である。

   これが第二義的な人の心の有り様であり、言わば認識論的な人の自覚と言える。


   次に行の立場というのは、<認識 (信) の破れ> であり、

   第二義的な意識 (認識) の破れに伴う 「行為」 や 「所作」 (ふるまい) の現成であり、

   第二義的な立場を 「態度」 や 「姿勢」 の存在的な様態性とするなら、

   この第三義的な立場は、行為的で実践的な機能性 (行為/作用) と言える。



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   これらは、覚を中心に展開 (回心) する 「覚的現象場」 (真空の相転移) であり、

   第二義的な人の自覚に基づく認識論的な 「覚的現象論」 とも読める。

   
   ちなみに、これらは ≪臨済の三句≫ に対応している。