修行とは、本来、<形なき者が 形なき物に 形を与える> のが修行であり、

   その過程であり、道程である。


   したがって、これを <業を修する> とも呼んで、

   自ら為す行為 (言動) の 「規矩」 (きく) と為し、

   他の 「清規」 (しんぎ) と為し、

   世間の 「風紀」 と為し、「風致」 とするのである。



   此処では、形ある者が形なき者 (無形・無相の者)に目覚めるのは、

   言わば、本業へと到るための 「学業期」 のようなものであり、

   いくら辛酸をなめ辛苦を重ねようとも、前座の前振りであり、

   入門へのプロローグ (登竜門) に過ぎない。


   本編は、形なき者が一切時一切処に在って、自由に形を与え自在に形造るのであって、

   此処に来て始めて 「自律自戒性」 とも呼ばれる、 自他に渡る愛に目覚め、

   その各場的な 「自己制御能力」 を発揮し始める。


   これこそが、「悟後の修行」 と呼ばれ、「大悟徹底」 とも呼ばれて、

   世間や市井に向って為される 「事上練磨」 であり、禅をさえ越えて出自する

   禅的エピローグ (禅の終焉) である。   ―――― 南無生。