久松禅学の最大の功績は、禅の中に歴史的視座を打ち立て、
それを前面に推し進めたこと以上に、
膨大な歴史的過去の首根っこを押さえて <今ここ> に引きずり出し、
第一義的な <覚の立場> を全面的に打ち出し、挙揚した点にある。
いわゆる <無相の自己> を提唱し、頓悟頓修の立場に立ったのである。
しかし彼は、すぐには西田のようには語らなかったし、語れなかった。
彼や森本省念などは、同じ西田門下にありながら哲学的思弁の道には入らず、
在家と出家に分かれつつも、西田的傍流?の <禅者の道> を歩んだのである。
それを論証し弁明する自己相対的で対自的な宗教的思弁 (学際) や
宗教哲学には向わず、返って一切の立論・言論を撥無し不立文字する、
従来する即自的な禅的実践 (無の実践) へと向かってしまったのである。
彼らは伝統的で本来的な禅者 (実践する者) の側に立ったのである。
彼が立論を始めたのは、池上湘山師の下で見性してよりずっと後であり、
五十歳を迎えて 『東洋的無』 を上梓して以来である。
此処に無相の自己という主体を引っ提げ、あらたな歴史的で動力学的な視点を提起して、
従来する <いわく言い難し> の有耶無耶 (言語道断底) に別れを告げ、
無為の安居と無言の曖昧 (鬼窟裡) に終止符を打ったのである。
それはまるで、先師西田の死を待つかのように相前後するのである。