<歴史と禅>


   FAS禅の創始者であり、西田の高弟の一人でもあった久松抱石は、

   禅のなかに超歴史史観ともいえる歴史認識を持ち込んだ人である。


   その功罪は別にしても、従来する禅の中に明確な歴史認識を持ち込んだことは、

   生成のダイナミズムを語る上にも、禅的ダイナミックスを語る上にも、

   避けては通れぬ問題であり、何より、滝沢 (神学) や田辺らによって指摘された

   西田の 『場所の論理』 に対する不徹底さ、あるいは、動力学的視点の欠如に対する

   彼、抱石なりの回答だったのかも知れない。


   言わば、『場所の論理』 に 「時間的経緯」 という時空的・歴史的な契機を持ち込み、

   場所的な幾何学的空間に行為的で時間的な歴史的動力学構造を加えたものとして、

   それなりの評価が与えられても良いと思う。

   
   ―――― 言わば、動かぬ箱 (場所) が動き出したのであるから。

    
   やがて、手を出し 足を出し ・ ・ ・



             *             *             *


   
   今から四十年近く前、
   
   まだ健在であった滝沢克己と八木誠一とが熱い論争を繰り広げていた頃、
   
   それとの関連で、並行的に久松の全集を買い入れて読んだことがある。
   
   以来、個人的な事情もあってほとんど本を読むことのない日々を過ごしていたのだが、
   
   それがひょんなことから、このようにしてまだ荷を解かないダンボール箱から
   
   久松の著書を引っ張り出し、長い年月の埃を払っている。

   
   ・ ・ ・ まるで浦島太郎が玉手箱を開けるように、である。