理性的態度と呼ばれるものがある。

   これに対して、実際とも呼ばれる実践的態度がある。


   理性的態度とは、主知主義的な学際的態度や姿勢のことであり、

   実践的態度とは、文字通り日常的な生活者の態度であり、

   非学際的な生活そのものである。


   何が言いたいのか、まだ自分でもはっきりしないのだが、

   人という者は、案外、

   この日常し普段する生活者の姿勢や態度が大事なんじゃないか、

   と感じ始めている。


   古臭いと言われるかも知れないが、

   日本人はこれまでしつけや行儀作法として、或は、修身や道徳、

   或は、礼法と称して、日々の生活態度や生活者の姿勢を重視してきた。


   戦後、これらは倫理的道徳的な <道義的形式主義> であるとして、

   或は、上から目線のおおきなお世話として無視され看過されてきた。

   言わば、これに口を挟むものがいなくなったのである。


   自由や平等というものが新しい実践徳目として掲げられ、

   これに反する姿勢や態度と言ったものが、ことごとく古いもの、

   うざいものとして退けられたのである。


   自由と平等の名のもとに手に入れた筈の金太郎飴的生活も、

   今では、返って多大な不自由と不平等を感じる格差社会となり、

   日々の忙しさといらだたしさの中で、自らを律する道義も姿勢も

   態度までも失ってしまったのである。



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