<歴史と現在>


   一見すると、現在の中には 「過去」 も 「未来」 も何もないように見える。

   此処には、まだ <三世を通観する> ような 「歴史的視点」 がない。


   しかし、よく見ると、そこには親父が植えた松だとか、

   かって子供たちが遊んだ、汚れて萎んだゴム毬だとか、

   若い兄ちゃん姉ちゃんが身体を鍛えるために残したバーベルとかダンベルとか竹刀とか、

   とにかく、種々雑多な過去の遺物と痕跡に囲まれて暮らしているのがよくわかる。


   ・ ・ ・ あの柱の傷は、子供の頃のおれの背丈だ、とか、

   あの壁の染みは、俺がおやじと取っ組み合いになった時に付けた醤油の染みだ、とか、


   つまり、此処には、過去が現在の内に食い込んでいるのであり、

   現在が未来に向って、<ころがり> <こぼれていく> のが見えるし、

   未来が現在に向って、<ころがり> <ながれ> <こぼれてくる> のが見える。 *


   それでいて、此処には、

   まるで影法師のように付き従って一向に離れようとはしない <永遠の現在> が、

   覿面しつつ正面しているのである。



             *             *             *



   * 分りにくければ、キャッチボールの情景を思い浮かべてください。

   ――― 死んだ親父に買ってもらった古いグローブとボールで、

   それをせがむ息子とキャッチボールをしている情景をです。


   でなけりゃ、良寛さんのように手毬つきでも ・ ・ ・