<歴史と人格>


   世の中の歴史的経緯や現状を把握するならともかく、

   一個の人格を把握するのに、こんなにも言葉を費やし、

   念慮を重ねなければならないのか、という忸怩たる思いがある。


   一方、社会情勢を語り歴史的経緯をひも解くに当たって、

   そこには、少なくとも一個の人格の実在が前提となるし、

   この前提を抜きにして、如何なる歴史的経緯も社会情勢の分析も、

   泡沫のごとく無味されるに到る。

   
   此処では、実在する一個の人格と世の中の歴史的経緯や現状の把握とが、

   不一不二な関係として自覚されており、一人の人を語ることと、

   世の歴史と現状を語ることとが、不可分であり、且つ、不可同である、

   と認識されている。



             *             *             *



   これが、<同じであって同じでない>、

   すなわち、<絶対矛盾的自己同一> の謂であるが、

   
   平たく言えば、歴史が人格を形成する、とも言えるし、

   人格が、人及び人の世の歴史を形作る、とも言える。

   
   また、これが、

   歴史がつねに歴史的現在を形成し、歴史的現在が更なる歴史を形作る、

   と言われる <大いなる歴史的うねり>

   ―――― 歴史的潮流であり、生成であるとも言える。


   
   しかして、歴史が常にその痕跡と歴史的現在しか残さないのは、

   単なる歴史のきまぐれなのだろうか。