――― 此処のところは、

   古来より、あらゆる宗教、宗派・宗門に於いて喧しいところである。

   いわゆる、「本覚門」 と 「始覚門」 の分裂と抗争がこれである。


   いずれを 「第一義」 (勝義) とするか、

   いずれを優先するかで、宗教的、信義的な分裂が起こり、

   果てには、骨肉の争いとなって背と腹とに分かれる。


   禅では、特に臨済禅に於いては、

   此処のところを統括的に押さえて、「臨済の三句」 と提示し、

   その 「第一義」 「第二義」 「第三義」 とに分別して、

   全体的な一括的了悟を求めるのである。


   ある意味では、本覚と始覚の分裂や対立抗争を許さぬのであり、

   それでいて、それぞれの名分を明らかにせよと迫るのである。

   
   此処には、本覚と始覚との不可分で不可同 (不一不二) な立場と、

   第三句から第一句へと展開する、聖道門 (抑止門) 的な <往相的方向性> と

   第一句から第三句へと展開する、弥陀門 (摂取門) 的な <還相的方向性> とが

   踏まえられて、分裂のしようのない立場となっている。 *

   
   * 往相的な 「究竟次第の因縁」 と還相的な 「生起次第の因縁」 との

   両義次第の因縁を明らめる (解脱する) 立場。



   簡単に言えば、臨済第一句が、「見仏」 (光明発得) に相当し、

   第二句が、「見性」 (戒体発得/さとり) に相当し、

   第三句が、具体的な現象場に於ける 「人のはたらき」 (活用/作用)、

   その 「活作略」 と言える。