≪見仏と見性≫
光明主義について、はなはだ散漫で不見識な文章となってしまった。
誤解がなければと思う。
見仏体験 (光明発得/第一義諦) と、見性体験 (戒体発得/第二義諦) との違いを
明らかにしようと思って、返って、見仏体験を軽んじるかのような発言となってしまった。
見仏は、現在に於いても、 <仏家一大事の因縁> には違いなく、
多くの宗教家や修行者の究極の目標であり目的であることに変わりはありません。
ただ、禅家では、この見仏体験より見性体験の方を重んじる傾向があり、
つまり、<あちらの仏> より <こちらの人> を重んじるのであり、
人を重んじることに於いて、人の内に仏を迎え入れるのです。
「個の超個性」 として、あるいは、「超個の個性」 として、
その絶対無矛盾な自己同一性に目覚めるのです。
これを、 ≪見性≫ (さとり) と呼ぶのです。