これは 「転向」 でもなければ、「進化」 でも 「転移」 でもない。
強いて言えば、<心をとめる> ことから自らを解放するのであり、
それを <やめる> にすぎない。 <莫作妄想>
わたしにとって、
信仰とは、「心を対象につなぎ止める」 ことだし、
愛とは、つなぎ止められた心を自ら解放し、
当面する流動し生々流転する現象世界へと落着することだから。
だから、これは、
チャネリングやリンクなどと言った同調や同期、或は、接続や接触などではなく、
同定され固定化された流動性や融通性を失った心を元の世界 (状態) に戻し、
かたくなにつなぎ止められた心を <断念する> ことで、 「自己解放」 し、
「自己救済」 するのである。 <柔軟心への帰還>
これが、
わたしにとっての 「頓悟」 であり、「魂の救済 (開放)」 であり、
「自己浄化」 (カタルシス) であることは言うまでもない。
* * *
これを禅的に喩えれば、≪放下著≫ ということだろうし、
陽明学風に言えば、無善無悪な <心の体に達する>、
あるいは、≪天命を知る≫ ということになるだろうか。