出没を繰り返す無常の現象世界がある。
一方、点頭 (点灯) と消頭 (消灯) を繰り返す我々がいる。
出没は、生死 (生成と消滅) に由来し、
点頭と消頭は、気付き (意識) と忘却 (無意識) に由来する。
この二つは、同じようで同じではない。
何故なら、点頭と消頭の事態は、少なくとも、
<生きてある者> の事態であり、入力内の出来事だから。
じつは、この二つの現象 (事態性) のあいだには、
人の側からは、避け難く越え難い <断絶> があり、
底知れぬ <暗渠> が横たわっている。
出没は、生成 (生死/絶対不可逆的事態) の領分だが、
点頭と消頭とは、人の領分であり、なかんずく、可逆的な、
意識と無意識 (脱意識) の境界 (ドメイン) だから。
かって、滝沢克己は、
この辺の事情を <第一義のインマニュエル> と
<第二義のインマニュエル> とに分別し、
両義に渡る金太郎飴の断面を ≪不可分・不可同・不可逆≫ と記述し、
両義の関係も又そうであると、開示して見せたのである。
――― 事の真偽は別にしても、
おざなりには出来ない指摘だと思う。