法的な、つまり光明主義的で神聖な、
「絶対専制」 (絶対平等性) の場から解放され、
各個それぞれが、自由で自在な 「個別的差異性」 へと
出自して来るのだと言うこと。
専制とも法的ファッショとも目される、
専一的で専横的な 「法的拘束力」 の不自由さや悪平等性から解放され、
今此処に、各個それぞれが、それぞれの自由意思と自由な判断とに依って、
それぞれの道を、個別的判断と言う場の自由度に従って出処進退するのである。
それも、各個、各場の権利と責任とに於いて ・ ・ ・ 。
<かくあらねばならぬ> と言う、法的な絶対拘束力を、
禅では、≪無孔の鉄槌≫ と呼び、≪万里一条の鉄≫ と
呼んでいる。
この抜き差しならぬ事態性から、自分をどのようにして
脱出 (解脱/出自) せしめるかが、大悟徹底の謂であり、
ここを突き抜けてこそ、
始めて、<人の人たる由縁> が明らかにされ、
<人が人である> ことの醍醐味が知れるのである。