「ものの見方」 や 「考え方」 には、主観的なものの見方と、

   客観的なものの見方、といった従来する二通りの方法がある。


   総じて、<思惟形態> 或は、<思考形態> と呼んでいるのだが、

   今のところ、この双方向性を持った二通りの方法以外、

   適当なものの見方や考え方は見当たらない。


   人は、ときに主観、ときに客観と、時と場合に応じてうまく使い分けている。

   しかし、ときに主観が突出したり、ときに客観が横柄さを見せ始めると、

   この二つのものの見方と考え方は、調和とバランスを失い、

   到るところで分裂と抗争を見せ始め、始末に終えなくなるのである。


   とどのつまりは、

   唯物論と観念論の相克と葛藤と相互不信と言うことになるのだろうが、

   じつはそれ以前にも、主観相互、客観相互の中にも、

   矛盾、軋轢、葛藤は存在していて、

   まさに百花繚乱のシッチャカ・メッチャカなのである。


   我々人間は、この二十世紀来の遺産とも遺物とも言える

   思惟形態や思考形態のしがらみや葛藤からは脱け出せては居らず、

   ときに増長したり、ときに退縮したりして、

   依然、自己拘束や自己限定の手をゆるめるどころか、

   とどまるところを知らない如くなのである。


   そしてじつに厄介なのは、このような矛盾や軋轢や葛藤が、

   日々、我々自身の中で、

   その情熱と冷静さの間で起っていると言うことなのである。



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