事態や現象の 「絶対平等性」 に気付く事と、
事態や現象の絶対的な 「差別の相」 に気付く事とを、*
ごっちゃにすると、これは厄介なことになるよね。
* この世には <一つとして同じものがない> こと、
つまり <相対を絶している> と、気付くこと。
事の絶対平等性と事の絶対差別の相 (差異性)、
ここに、性と相の一致 (一如) が見届けられれば、
特に問題 (矛盾/背反) はないのだけれど、
この間に、性相の不一致が認められるかぎり、
この人の認識は、相反する自己矛盾的なものとなって、
至極、厄介で難儀なものとなる。
たとえば、苦悩的でなければ、自己矛盾的な認識となり、
自己矛盾的な認識でなければ、苦悩的な自己となって、
自他を巻き込んでの迷惑となり、苦悩や葛藤となって
いまここに、現象化され現前化される。
出来れば、事態や現象の性と相、
あわよくば、自身の自性と自相の一如が見届けられれば、
きっと、多くの目前の問題が片付くと思うのだが、
少なくとも、自身の周辺だけでも落ち着くと思うのだが、
どうだろう。