至道 (真理の道) は無難だと言われる。

   唯だ、揀択を嫌う、と。

   好き嫌いや、選り好みをしなければ、 *

   そのままで、洞然として明白だと言うのである。


   * これを 「取捨愛憎の念」 と呼び、「好嫌の情」 としている。
    
   ――― アレコレ斟酌し忖度 (依怙贔屓) すること。


   この辺りの事情を臨済師は、『臨済録』 の冒頭に、

   次のように述べている。

   
   「今時、仏法を学する者は、

   且 (しばら) く真正の見解を求めんことを要す。

   若し真正の見解を得ば、生死に染まず、去住自由なり。

   殊勝を求めんと要せざれども、殊勝自 (おのず) から至る。」

   
   ・ ・ ・ と。


   
   世界を斟酌し忖度するのは <人> である。

   世界が、自らを斟酌し忖度するのではない。

   
   このとき、

   真理は、あらゆる各場に於いて自らを自己対称化しながら、

   世界を明示し、開示 (示現) している。


   すなわち、世界を開示し示現しているのは、

   <真理自体> であって、

   決して、世界を比較考量 (計量/計測) し、

   推測や推量 (類推) を加えて、

   斟酌しつつ忖度している <人> ではない。


   この辺の事情を、 僧璨 (三祖) は、

   「毫釐 (ごうり) も差有れば、天地懸 (はる) かに隔たる。

   現前せんと欲得 (ほっ) すれば、順逆を存すること莫れ。」

   と、言うのである。


   ≪ 全提正令 狗子仏性 ≫