≪法 (ダルマ/真理/無生の法) を知る者は、法を畏る≫
と、言われる。
また、<知る者は言わず、言う者は知らず> (老子)
とも言われる。
この饒舌な舌が、今にも引っこ抜かれそうな気がする。
それは、<恐怖> ではない。 それは、<畏怖> である。
畏れ多くも畏くも、(?)
自ら <為すごとく為し>、 自ら <為すごとく成る>。
・・・ のであるから。 ( 箇中に 「賊機あり」!)
これまで私は、共感し共有し共用する <共生の土壌> だけで、
事足りると考えてきた。
この <共生のフィールド> に立つだけで、
十分なのではないかと。
しかし此処に来て、それだけでは十分ではない事、
そこに、 <安心し安住すること> (執着し固執すること)
が、許されなく成ったのである。
今将に、世界が火の海に有るとき、
少なくとも、お前さんの家が燃え盛るとき、
一体、お前さんはどうするのか ・・・と。
≪無事ならざるとき如何≫
――― 如かして、
≪おまえは一体誰なのか≫
Archives 2008 「あるべきようは」 参照
http://blogs.yahoo.co.jp/kyouoyaji/40761300.html