≪繋辞 (コプラ) の魔術≫


   有る (~である) のか、無い (~でない) のか分らず、

   また、それぞれの証明も出来ないような事柄について

   記述しようと言うのだから、ずい分と間抜けた話だ。


   言葉にすれば、「~である形式」 と 「~でない形式」 との

   二つの形式 (相対形式) に還元されるのだろうけれど、

   何れを選択するにせよ、真理などとは無関係に、

   人それぞれの 「思い込み」 や 「類推」 と言った自己傾向性、

   その恣意的で偶意的な 「好みの問題」 (任意の形態) に任される。



             *             *             *



   ちなみに、前項の蛇足とも言える補足的説明を加えれば、

   ≪厨庫 (ずく)、三門≫ は、趙州の 「庭前の柏樹子」 に相当するのだが、

   人という者は、<執着> し <固執> し <同化> するのが仕事のような
   
   もので、この固定化 (体制化/規範化/静態化) を回避し、取っ払うために、

   言わずもがなな ≪好事は無きに如かず≫ と、老婆なる二の矢が放たれる。

   
   ( 前箭は浅く、後箭は尚深し・ ・ ・ )