「心月孤円にして、 光万象を呑む。

   光境を照らすにあらず、 境亦存するにあらず。

   光境倶に亡ぶ、 復是れ何物ぞ。」


     (『碧巌録』 第九十則より 盤山宝積の偈頌)



   
   ≪ 光境倶に亡ぶ、復是れ何物ぞ。≫


   問題は此処からである。

   光が境を照らすのではない、境も又、別に存するのではない。

   照らすものと照らされるもの、見るものと見られるものとが、

   倶に消失するとき (真如なるとき)、是れ又、何物ぞ。

   と、言うのである。     (相対の消滅 ⇒ 絶対)


   すなわち、

   此処では、 <照らすものが照らされるもの> であり、

   <照らされるものが照らすもの> でもあって、

   同様に、<見るものが見られるもの> であり、

   <見られるものが見るもの> だからである。   (自他不二/主客一如)


   
   これを、

   ≪心月孤円にして、光万象を呑む≫ と、冒頭に謳うのである。

   
   言うところの 「無影燈」 であり、 「人境に影なし」 であり、

   「通身影像なし」 である。


   
   由って、『碧巌録』 第八十六則 「本則」 に云う、


   挙す。

   雲門、垂語して云く、

   「人々尽く光明の在る有り。 看る時は見えず暗昏々たり。

   作麼生 (そもさん) か是れ諸人の光明」。

   
   自ら代って云く、 「厨庫 (ずく)、三門」。

   
   又た云く、 「好事は無きに如かず」。


   ・・・ と。



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