書庫: 龍のすみか 所収
   


   ≪無生法忍≫

   
   凡情脱落し、聖意皆な空ず。

   有仏の処遨遊することを用いず、

   無仏の処急に走過すべし。

   両頭に著せずんば、千眼も窺い難し。

   百鳥華を含むも、一場のモラ (印字拾えず)。


      (廓庵 『十牛図』 人牛倶忘序八 より)



   
   禅と言うものは、何とも取り留めがなく、

   取り付く島もなく、とどまる処を知りません。


   有仏の処 (無生死涅槃/心空) を脱却するのみならず、

   無仏の処 (無住所涅槃/法空) にさえとどまるな、

   と言うのです。 ――― ≪倶に空ずべし≫ と。

   
   ≪両頭に著せずんば、千聖も窺い難し≫ *

   
   * これを、 『無生法忍』 (阿耨多羅三藐三菩提) と言い、

   「三祇劫空」 (因縁空/永遠の現在/真如) に達するを言う。

   「無上正等正覚」 とも呼ばれる 「無余の涅槃」 である。
  


   これは、一体どうしたことでしょう。

   せっかく諦めた有頂天のような「有仏の境界」 (即心是仏) も捨て、

   ようやく探り当てた 「無仏の境涯」 (非心非仏) さえも放下して、

   ≪涅槃に留まること莫れ≫ と言うのです。


   これが、知る人ぞ知る

   ≪不入涅槃の理 (ことわり)≫ であり、

   空をさえ空じる ≪初転法輪≫ (発菩提心/転智得識) へと

   不退転 (転出/仏向上の事) するのである。 **


   
   ** これを、「差別智」 (菩提心/無生の法) を明らめると言う。

   具体的には、「観音の知見」 であり、「妙観察智」 であり、

   「観自在」 とも呼ばれる 「成所作智」 である。


   ――― 『無門関』(後序) 及び、同四十二 「女子出定」 参照。



   ~2008 (後半) 「失われた時を求めて」 参照
   http://blogs.yahoo.co.jp/kyouoyaji/46949736.html