書庫: 龍のすみか 所収
――― 出過ぎたこととは言え、正直手を焼いている。
≪場の力≫
日々、統一された場の力の内に在り、
場の力を用いながら生活しているにも拘わらず、
いざ、記述しようとすると何処にも見当たらず、
すでに、<過了底のもの> として後追いするばかりだ。
仮に、ここに何らかの法則を見出し、後付けしピン止めしたとしても、
当の私は、場の事情と状況に依っては、平然とこれを裏切り、
<それどころじゃない> 事態として他に向かうだろうし、
きっと <そうしてしまう> に違いない。
何が言いたいのかと言えば、
力の出自には、これと言った、決まった <法則性がない> と言うことであり、
むしろ、自由自在で自由無碍な <無法性> や <無方向性> の中に在って、
各場的な事情や状況を抱えながら、場の破れに基づく自己限定的な当為へと
向かうと言うのが、我々の日常となり、生活となっている。
此処では 「場の力」 の記述が、ほとんど <覚え書き> のような
「後追い」 となり、「後付け」 (弁解) となってしまっている。
――― 出過ぎたこととは言え、正直手を焼いている。
≪場の力≫
日々、統一された場の力の内に在り、
場の力を用いながら生活しているにも拘わらず、
いざ、記述しようとすると何処にも見当たらず、
すでに、<過了底のもの> として後追いするばかりだ。
仮に、ここに何らかの法則を見出し、後付けしピン止めしたとしても、
当の私は、場の事情と状況に依っては、平然とこれを裏切り、
<それどころじゃない> 事態として他に向かうだろうし、
きっと <そうしてしまう> に違いない。
何が言いたいのかと言えば、
力の出自には、これと言った、決まった <法則性がない> と言うことであり、
むしろ、自由自在で自由無碍な <無法性> や <無方向性> の中に在って、
各場的な事情や状況を抱えながら、場の破れに基づく自己限定的な当為へと
向かうと言うのが、我々の日常となり、生活となっている。
此処では 「場の力」 の記述が、ほとんど <覚え書き> のような
「後追い」 となり、「後付け」 (弁解) となってしまっている。